タイ王国
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国名:タイ王国
   Kingdom of Thailand

首都:バンコク(Bangkok)

面積:514,000km2(日本の1.4倍)

地形:
 インドシナ半島中央部に位置する。メナム(チャオプラヤ)川が南北に貫流し、流域は広大な沖積平野を形成する。北部は山地といくつかの山間盆地、西部はミャンマーとの国境山脈、東部はコラートとよばれる低平な高原、南部はシャム湾とインド洋に面するマレー半島である。

人口:6,235万4402人(2002年7月)
   6,181万人(2001年)
   都市圏(バンコク周辺に750万6700人(1999年)が住んでいる。
人口密度:121人/km2(2002年推計)

民族:タイ族80%、中国系(華僑)6%、マレー人4%、インド系、ベトナム系

気候:全体としては熱帯モンスーン気候で半島部は熱帯雨林気候。
   雨季は南西モンスーンの5〜10月、乾季は北東モンスーンの11〜2月。3〜5月は暑熱となる。

人口増加率:0.88%(2002年推計)

平均寿命 :全人口:69.18歳(2002年推計)

言語:タイ語(公用語)、中国語、マレー語

宗教:仏教95%、イスラム教3.8%、キリスト教0.5%

独立:13世紀、スコータイ王朝成立

国連加盟:1946年12月16日

◎国旗
 この旗になる前は赤地にこの国のシンボルである白い象が画かれていたが、デザインが難しいため現在の旗になった。白は白象の代わりで、青は王室の色。

◎政治体制(2002年4月)
 政体 :立憲君主制
 議会 :二院制、上院200名、下院500名(両院とも民選)
 元首 :プーミポン・アドゥンヤデート国王(ラーマ 9 世王)(1946年6月即位、在位56年)
 政府 :(1)首相名:タクシン・シナワット
     (2)外相名:スラキアット・サティアンタイ

◎内政(2002年4月)
 タイでは1932年の立憲革命以降、軍部主導の政治が続いていたが、92年の軍と民主化勢力との衝突(5月事件)以降、軍部は政治関与を控え、民主的な政権交代手続が定着している。
 97年に成立した新憲法に従って、2001年1月に下院選挙が行われ、タイ愛国党の圧勝によりタクシン政権が成立した。
 タクシン政権は、首相の強力なリーダーシップと下院における連立与党(タイ愛国党、タイ国民党、国家発展党)の安定多数(500議席中366議席)を背景に、数々の経済改革政策を推進している。

◎外交基本方針(2002年4月)
 タイは伝統的に柔軟な全方位外交を維持しつつ、ASEAN諸国との連携と日本、米国、中国といった主要国との協調を外交の基本方針としている。
 タクシン政権は近隣諸国との関係の強化、各国との自由貿易協定(Free Trade Agreement:FTA)締結を目指す活発な経済外交、アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)の提唱等、地域において積極的なイニシアティブを打ち出している。

◎軍事力(2002/2003年版ミリタリー・バランス)
 国防予算:786億バーツ(19億ドル)(2002年度)
 兵役:徴兵2年、予備役20万人
 兵力:正規30万6千名(陸軍19万名、海軍6万8千名、空軍4万8千名)

◎経済(単位:米ドル)
 2000年のGNPにおいて非農業部門の割合は約9割。うち工業部門は33.4%を占める。GNPに占める農業の地位は低下しているが就業人口の約4割を占める重要産業である。

 GDP:1,146億ドル(2001年)
 一人当たりGDP:1,818ドル(2001年)
 GNI:1,208億7,150万米ドル(2001年)
 一人当たりGNI:1,970米ドル(2001年)
 経済成長率:5.2%(2002年)
 物価上昇率:1.6%(2001年)
 失業率:3.3%(2001年)
 
◎総貿易額
(1)輸出:653億ドル(2001年)
(2)輸入:618億ドル(2001年)
 
◎主要貿易品目(2001年)
(1)輸出:コンピューター・同部品、IC、自動車、衣料、冷凍エビ、宝石、コメ
(2)輸入:機械・同部品、電子機器・同部品、原油、化学製品、IC基盤、鉄鋼
 
◎主要貿易相手国(2000年)
(1)輸出:1.米国 2.日本 3.シンガポール 4.香港 5.中国 6.マレイシア
(2)輸入:1.日本 2.米国 3.中国 4.マレイシア 5.シンガポール 6.台湾
 
◎経済概況(2002年4月)
 タイは、80年代後半から日本を始め外国投資を梃子に急速な経済発展を遂げたが、その一方で経常収支赤字が膨張し、不動産セクターを中心にバブル経済が現出した。その後、バブル破壊に伴い不良債権が増大し、経済の悪化を背景にバーツ切り下げの圧力が高まり、97年7月、為替を変動相場制に移行するとバーツが大幅に下落し、経済危機が発生した。
 タイ政府は、IMF及び我が国を始めとする国際社会の支援を受け、不良債権処理など構造改革を含む経済再建に努力した。タイ政府の財政政策を含む景気対策、好調な輸出などにより低迷を続けていた経済は回復基調に転じた。
 2001年2月に発足したタクシン政権は、従来の輸出主導に加えて国内需要も経済の牽引力とすることを訴え、農村や中小企業の振興策を打ち出している。タクシン政権の内需拡大政策の奏功と見られる個人消費の活性化等により、最近は経済の回復傾向が見られ、2002年の経済成長率は、5.2%と経済危機後最も高い数字を記録した。

◎産業(2002年4月)
 労働人口の50%以上が農業に従事し、メナム川流域では米(世界5位)、高原ではトウモロコシ、サトウキビ、半島ではゴム、タピオカなどが栽培されている。米の輸出量は世界1である。ほかに水産、養鶏、野菜栽培も盛んである。地下資源ではスズ、鉄鉱石、タングステンを産出する。工業は食品加工、繊維などの軽工業が中心であったが、70年代から日本やアメリカの企業が進出し、電機、電子産業など輸出産業が急成長し高度経済成長の段階に入った。しかし96年に輸出が不振となると、不良債権問題が表面化、海外からの投資がいっせいに引き上げられ、米ドルとの固定相場制も崩れた。この結果「国際通貨基金(IMF)」の支援を受けるにいたったが、金融引き締めなどの対策によりプラス成長に回復した。


◎略史
  タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ、その後アユタヤ王朝(14〜18世紀)、トンブリー王朝(1767〜1782)を経て、現在のチャックリー王朝(1782〜)に至る。1932年立憲革命。
 以前はシャムと呼ばれていたが、1939年タイと改名した。