インドについて
このページは、私がインドに関して聞いた情報をまとめたものです。
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◎大きいお金の表記(2006年2月1日)
 インドで大きな金額のお金を表記する場合、別の単位があります。インドのお金の単位は、ルピー(通常、Rs.と表記される)ですが、10万ルピーは1Lahk (ラーク)と呼びます。さらに、1,000万ルピーは1 crore(クローレ)と呼ばれます。すなわち、
 1,00,000Rs = 1Lahk
 1,00,00,000Rs = 1crore = 100Lahk
 ここで、気がつくと思いますが、数字につけるカンマ(,)の位置が、日本や他の国とは異なります。普通は、3桁ごとにカンマを打つと思います。しかし、インドでは最初の3桁目は同じですが、その後は2桁ごとにカンマを打ちます。これは、2回目のカンマの位置はLahk、3回目はcroreを示しているためだと思います。インド独特のルールですので、大きな数字をやりとりする場合は、注意が必要です。
 またインドでは、2万ルピー以上のお金は、現金で支払うことが禁止されているようです。(インドの人に聞いた話ですので、本当なのか、分かりません。2万ルピー以上の買い物をする場合は、銀行の手形で支払いをするのだそうです。

◎インドの人の給料(2005年5月、インドのツアーガイドの話)
 ・現地ツアーガイドの給料:30〜50US$/day

 ・旅行会社の給料
   2万ルピー/月(4〜9月、暇な時期)
   3〜4万ルピー/月(10〜3月、旅行シーズン)

 ・州の役人の給料
   12,000ルピー/月程度(公務員なので安い)

 ・民間企業
  2,000〜2万ルピー/月まで、様々。
  普通は、15,000〜2万ルピー/月程度。

 ・ムンバイの銀行員(マネージャークラス)
  5万ルピー/月(ただし、税金を8%とられるそうです。)

◎インドの車(2002年4月)
 インドにはインド国産車だけでなく、日系自動車会社の車や欧米系自動車会社の車などいろいろな車が走っています。インド国産車で有名なものはアンバサダーという白い車です。政府高官などは今でもこの車を愛用しています。日本車の割合も多く、スズキをはじめトヨタ、三菱などの車を見かけることができます。他にもメルセデスやオペルフォード、韓国のシエロなどが走っています。91年以前の開放政策前には国産車が多かったのですが、最近では外資の導入が盛んとなっており、今後ますます外資系企業の車が増えていくでしょう。このため、日本から車を持っていくよりも現地で購入した方が便利かもしれません。

◎服装(2002年4月)
 カシミールは海抜1,678メートルの高原で、夏でも涼しく乾燥しており、軽井沢や那須より寒いくらいです。ですから9月から10月頃にカシミールへ行く場合は、ウールの合服を用意した方がいいでしょう。
 冬はニューデリーでも薄手のコートとセーターが必要ですし、南インドでは日本の秋とほとんど変わりません。ただ湿気がなく汗ばむことがないので、7月から8月でも半袖シャツで十分です。
 冬のカシミールは別として、水着は必ず用意してください。一流ホテルにはどこにでもプールがあり、南インドにはゴアやコバラムビーチなど、水のきれいな人の少ない海水浴場が多いからです。洗濯はたいていのホテルで24時間サービスですが、急ぎの場合、その日のうちに仕上げてくれます。
 
◎ビス(2002年4月)
 インドのビスは、ほぼ全てがマイナス形状です。プラスのビスには、まず、お目にかかったことがありません。コネクターを接合しているビスもマイナスですが、ビスの溝の深さなどによってはスプーンやフォークの柄、または南京錠の鍵でマイナスドライバーの代用と出来る場合があります。
 
◎インド人の意識(2002年4月)
 インドは途上国だと思っている私たちがびっくりする事は、どうもインド人自身は、自分の国は世界の大国と思っており、インドは世界で一番すばらしい国、インド人は世界一すばらしい人種と思っている事です。
 日本人は常に世界の人達から自分達がどうみられているかを気にしていて、日本及び日本人を評した本が常に書店をにぎわしていますが、インド人は自分達が世界の人からどう思われているかなんてほんの針の穴ほども気にしない、常に自分達のやっていることが一番と思っているふしがある。この辺は日本人の感覚からすると全く理解できないところでもある。
 現在のボンベイ総領事の角来弓月が書いた「インド現代史」(中公新書)の中に面白い一説があり、「再び生まれ変わるとしたらインド人として生まれたいか?」との質問に対して、何と88%の人が「YES」と回答しているという。(NOは5%)
 さらに、先日のThe Times of Indiaに面白い新聞記事があった。世界22カ国を対象にした「1999年生活満足度/幸福度チェック」の結果、アメリカの46%に次いで、インド人は37%の人が現在の生活に非常に満足している、幸福だと答えている。これはイギリス、フランス等のヨーロッパ勢を押さえて、世界で第二位の水準だ。(因みに世界平均は24%で、中国が9%、ロシアが3%、日本は記事に出ていなかった)
 質問は、現在持っているもの、例えばお金、物、仕事、自信、友達、時間等について、それぞれ各人が十分満たされているか、を質問した結果を総合したものである。この中で面白いのは、「自分で持っている自信」の項目で、インド人は、自分が十分に自信を持っていると思っている人が42%で、この数字は世界一なのである。何と、アメリカが41%で第二位。あの、世界の指導者、世界のリーダーを自負しているアメリカ人以上に自分に自信を持っているのである。
 この記事の分析では、持っている物とお金の量で、幸福感が違ってくるのではない、むしろ物とお金の絶対所有量の少ないインドでは、ほんの少し所得が増えて物が増える、お金が増えることで感じる幸福感が格段に違う、さらに物とお金以外のものに幸福感を見出す傾向が強く出て、その結果がこの差になっている、と言っている。全く考えさせられる事実である。
 ついでに、この間インド人と話しをしていて、邦人インド駐在員には、会社が費用を負担して年に数週間静養の為の休暇制度があったり、買出し休暇がある等、いろんなハードシップ手当てがあると説明したら信じられないという顔をして「インド駐在のどこがハードシップなんだ?」って言っていた。非常に興味深い。印象に残る。
 
◎インド人は数字に強い(2002年4月)
 さすがに零を発見した人達で、数字にはやたら強いのがインド人だ。噂によるとインド人の九九はどうも2桁掛ける2桁の九九(19×19など)も覚えるらしい。だから計算がすごく速い。買い物してもおつりの計算機なんか全く不要。合計も暗算でパッパッパで、おつりも直ぐ出てきて間違い無し。
 取引先のお客と話している時に「その件は誰某と話をしなさい。電話番号はこれこれだ。もし彼がいない場合は、誰某と話をすると良い。電話番号はこれこれだ。」といって次ぎから次ぎへと7桁の電話番号がポンポン出てくる。この人達の頭には計算機がはいっているのかと思ってしまうほどである。インドIT大国(ソフトの方だけ)となっているのも、こういう理由があるからなのだ。
 ちなみに南インドの人(Hyderabadや、Chennaiの人)に言わせると、南インドの人が、数学に強いそうである。確かに、インドのITと言えば、バンガロールとハイデラバッドだが、どちらも南インドである。南インドの人に言わせると、北インドは文章や絵の才能があるらしく、芸術方面の活躍が素晴らしいそうである。
 
◎インド人の英語力(2002年4月)
 これはいうまでもないが、インド人は英語がすごい。話す英語だけでなく、書く英語もすごい。何がすごいかって、辞書にも載ってないような単語がたくさん出て来る。よくそんな単語を知っているなあ、っていう単語を頻繁に使う。例えば「Times of India」のトップ記事を読んでいると、格調高く書かれているのだろう、知らない単語が10語以上出て来て、そのたびに辞書を引くのだが、時々、辞書にも出ていない単語や、ほとんど死語となっているような単語が出て来て、一つの記事を理解するのに何10分もかかることがよくある。インド人は本当に全部理解しているのだろうか?
 
◎傘事情(2002年4月)
 インド人は、あまり傘を使わない。というか、彼らにしてみれば傘はかなり高価な代物のようで、買えない人が大勢いると言う方が正しいかもしれない。
 私たち駐在員の家で働くメイドは、モンスーンの時期になると「傘を下さい。」と頼みに来る。初めての年、私もメイドに頼まれたので傘を買いに雑貨店へ行ったが、店に並んでいるのは折畳式の傘ばかり。これほど激しい雨が降るにも関わらず、しっかりとした柄のついた大きな傘がどこにも見当たらなかった。
 さらに値段を見て、とても驚いた。その当時メイドに支払っていた月々の給料の四分の一もしたからだ。これでは彼女達に傘が買える訳がない。日本の物価に換算すると、数万円の傘である。それでも仕方なく私が買った傘は、何十年も前の日本で使っていたような、折り畳んだとしても、長さが30cm以上もある無骨で重たいものだった。カバーもない。生地が分厚くて、かさばる、派手な花柄の傘だった。当然ながら、日本のコンビニやキヨスクの数百円の傘の方が、余程丈夫で軽く、使い勝手も良い。
 日本から送った引越し荷物の中で、私の真新しい折りたたみ傘が紛失していた、と前にお話したが、インド人にとってそれは、未来仕様のハイテク傘に見えたかもしれず、きっと誰かが持ち去ってしまったのだろう。その気持ちは何となく理解できなくもない。
 
◎インドの分業制度(2002年4月)
 インドには10億人の人が生活している。一言に10億人といってもピンとこないけど、世界の人口が60億人とすると、6人の人間が集まれば1人はインド人という事になるから、驚きだ。この10億人が飢え死にすること無く、一応、生きて生活しているのだからすごいことである。(ちなみにインドでは餓死というのはあまり聞かない。極度に貧しくても生き長らえるくらいは食べることはできるようで、この事を考えると本当は豊かと言うべきなのかもしれない。)
 これだけたくさんの人が飢えることなく生きていくための一つの方法が、仕事の分配、すなわち分業にあるのではないかと思う。
 この国では、あらゆる仕事が細かく分かれていて、各人は、その分担された仕事をすればいいのであって、その仕事以外は絶対にしない。むしろ、してはいけないのだ。効率は二の次で、自分の仕事をしていれば、それでOKなのである。
 例えば事務所。普通の事務をする人以外に、書類を運んだり、お茶を入れたり雑用をするピヨンという人間がいる(秘書は別にいるが、この手の仕事は絶対しない)。コピー取りはコピー専門、ファクス係はファックスだけ。
 事務員は決して自分で書類を運んだり、コピーを取ったり、ファックスを送ったりは絶対しない。自分の席で叫ぶだけ。すぐにピヨンが飛んでくる。日本人は小さいころのしつけで、「なんでも自分でしなさい」と言われているため、なんでもすぐ自分でする癖がついていて、つい自分でゴミ箱のゴミを捨てようとしたり、コピーを取ろうとするけど、そうすると大変、すぐにピヨン、コピー係が飛んできて、“Yes, sir.”全く社長の気分である。インドの会社の偉いさんになると、自分の係りとして、秘書以外にピヨン、運転手、掃除人、お茶汲み等等、たくさんの人がかしずいている。
 家の中もそう。料理をつくる使用人は一番格が上。料理は作っても給仕はしない。皿洗いもしない。これらは別の使用人がする。
 洗濯は洗濯人(洗濯は洗濯専門のカーストがいて、このカーストに生まれると、一家みな洗濯人になる)。掃除はまた別の使用人で、位は一番下、というように仕事ごとに分かれていて、使用人がどっさりいる。
 我が家でも調理人と掃除人は別で、調理人は絶対に掃除はしない。この間、初めて気がついたのが、運転手は自分の車の掃除をしないのだ。駐車場に何人か車専門の掃除人がいて、毎朝、この掃除人が月100ルピーぐらいで掃除しているのである。
 その他、窓拭き専門のウィンドウマンなんてのもいる。(ここでは、このての何とかマン、てのがいっぱいいる。牛乳配達はミルクマン、卵配達はエッグマン、果物配達はフルーツマン、クーラー修理はACマン等々)
 こうやって細かな分業をする事によって、より多くの仕事が確保されるが、一方では能率の悪さを生んでいる。ひとつのことを頼んでも、実際に手を動かす人間に至るまで多くの関係者が存在し、このため、信じられないくらいの時間がかかる。また、時間がかかるのは仕方がないとしても、途中で指示が違ったり、忘れ去られたりしてしまうのである。だから急いでいるときは、最後に誰がやるのか突き詰めた上で、その人間に直接指示しないと全く意味がない。いくら吼えても効果はほとんど無いといっていい。
 インドでは自分で何でもしてしまう事はいけない。何でも人に頼む方がいいのかもしれない。
 
◎インドと日本の貿易(2002年4月)
 インドへの輸出は、機械が一番多いのです。輸出総額のほとんどが機械、機械部品、電機、電機部品等です。インドでは一応、何でもインド製品っていうのがあって、これが安かろう、悪かろうで、価格はめちゃくちゃ安いけれど、デザインがださくて、かつ、質も悪い。
 逆に日本は、インドから何を輸入しているのでしょうか?繊維関連の輸入はインド綿の輸入に始まって、かなり歴史のある商品で、今も主要輸出品の一つです。エビも最近増えてきています。しかし、一番輸入が多い品物は、なんと“ダイヤモンド”なのです。
 実は、世界のダイヤモンドの7割近くがインドで加工されているのです。原石は昔に掘り尽くされており、大半が輸入で、それも小粒の低質のものが多いんだそうです。この小粒のダイヤの原石を安く砕ぎ、整形し、削り、研磨して58面体を作り出す。いかにも人件費の安いインドらしい産業です。
 ボンベイがダイヤモンドの取引の中心で、街中には宝石屋が両側にびっしりと軒をならべている地区もあります。
 
◎インド人と日本人(2002年4月)
 インド関係の本を読んでいると、時々インド人は親日的だという説明があり、よく例として、第二次大戦後の戦犯裁判で、インド人の判事だけが日本に見方をして、有罪判決に反対したという話が引用されているが、これは実は「戦勝国が一方的に敗戦国を裁判で裁く事はおかしい」と正論を主張しただけで、決して日本に見方しての話ではないというのが真相のようだ。
 本当にインド人は親日的なのだろうか?確かに反日的な感情はないといえるが、かといって特に親日的とも言えないと思う。インド人は自分の国が世界で最もすばらしい国だと思っており、外国はもう全く別の世界としてしか考えていないし、外国人は全く別世界の人との認識のようです。
 例えば、学校の授業では日本の事は全くといっていいほど何も教えられないとの事。インド人が日本に対して持っているイメージは、やはり経済大国で、電気製品、車に代表されるすばらしい製品を作る国というのが一般的なイメージで、あまり日本人がどうこうという具体的なイメージはない。いまだに、侍だとか、忍者とか、腹きりだとか、いまだにそんなイメージが一般的のようです。
 それでもどうも日本は人気の高い国で、アメリカを押さえて、好きな国、行ってみたい国の一番に上げられている。どうしてなのか全く不思議である。
 同質性、協調性の日本人と、多様性、自己主張、自分本意のインド人とは全く対極に有ると思うが、全く違うから興味があるのだろうか、本当に不思議だ。
 このインド人が初めて日本に行くとどんな印象を持つか?一番に驚くことは人々があまりに規則正しく、一様に行動していて、全てがシステマティックになっている点のようだ。(この点は最近出た本で、インド人が始めて日本を訪問し、しばらく日本で暮らした思い出を綴った「喪失の国日本−M.K.シャルマ著/山田和訳、文藝春秋」を観るとよくわかっておもしろい。この本はお薦め)これはやはりインド人にとってみると非常な驚異に映るらしい。言われてみるとなるほどそうかと思う。だから逆に我々日本人はインドで暮らして、あまりの秩序の無さに、ため息が出てしまうのだ。
 
◎インドの乞食(2001年7月14日)
 インドを訪れる人が誰でも必ず目にするものの一つに乞食があげられる。いたるところに乞食がいて、それが普通の光景になっている。交差点で車が止まる時、繁華街を歩いている時、映画館の前、駅、マーケット、必ず乞食がよってきて物乞いをする。それもかなりしつこい。なかなかあきらめない。
 初めの内はなんとも居心地が悪くなり、なんとか目を合わせずに、早く行って欲しいとひたすら祈って無視して過ごしていたが、だんだんと、慣れとは恐ろしいもので、こっちも余裕でじっくり観察して、この乞食はなかなか美形だとか、なかなかいい顔をしているとか、この子はどういう暮らしをしていて、将来はどうなるんだろう、とか思いを馳せたりする。
 良く見てみると、本当にありとあらゆる種類の乞食がいる。子供から大人、女、男、オカマ、おばあさん、おじいさん、兄弟、姉妹、子供連れ、赤ん坊を抱いた女、片腕の無い人、両腕の無い人、片足のない人、両足に無い人、皮膚病の人、象足病の人、何ともやりきれなくなってくる。
 この乞食については、彼等はプロの乞食でかなりの収入があるんだとか、わざと手、足を切ってしまうのだとか、本当は何とも無いのに、歩けない振りをしているとか、いろんな話しを聞いていたが、この間この乞食についての面白い記事がTimes of Indiaに載っていた。それによると、ボンベイには約1万人の乞食がいるとの事。そして驚いた事に乞食は法律で禁止されているそうだ。捕まると、乞食専用の厚生施設があってそこに入れられるんだそうだ。
 そして、やはり噂は正しかったのだ。赤ん坊を抱いた乞食の赤ん坊はスラムに行って一日50ルピー払って借りてくるんだって!借りてきた赤ん坊がうるさくしない様になんと阿片を飲ませるとの事。そうやって一日働いて500ルピー以上稼ぐらしい。一日500ルピーという事は、赤ん坊借り賃を払っても450ルピーで、例えば1ヶ月休みなしで働いたとしたら13,500ルピーで、これは会社で働いている事務員と同じぐらいで、かなりの高給取り。結構な稼ぎだ。
 この記事ではハッキリ書かれていなかったが、どうもこの乞食にも元締めがいて稼いだ金の何割かを上納しているらしい。元締めにふんだくられ、警察に追っかけられる、乞食の世界もなかなか難しいらしい。

◎ビンディー(2002年4月)
 インドの女性はサリーを着て額に赤い点、というイメージがある。もちろん、全ての女性がそうしているわけではないが、それだけ印象の強い「赤い点」は、Bindi(ビンディー)、Kumkum(クムクム)や、tikka(ティカ)などと呼ばれるものです。
 ビンディーは、元々、ヒンドゥー教にたくさんある各宗派を表す印で、宗派によっていろいろな模様があります。神聖な灰や石灰とウコンを混ぜて作ったものだそうです。本来は、手や足にも模様を書くのだそうですが、簡略化されて額の中心だけ、そして単なる「点」へと変わっていったのだそうです。(昔から点だけの宗派もあったようですが)
 今は、ビンディーは女性の化粧の一部になっているようです。フェルト製のビンディーや、プラスティック製で裏面がシールや糊になっているビンディーは、アクセサリーとしてヒンドゥー教徒を含む多くの女性に好まれています。